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No.247 「女性の柔らかい心」って?

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 2015年後期のNHK朝の連続ドラマ「あさが来た」の最終回で、日本女子大学の設立に寄与した主人公の“あさ”は若い女性たちに語りかけます。
 「戦争は、銃や大砲で人傷つけて、新聞や世論は、人を悪う言うたり、勝手な批評して、人の心傷つけるばかり。みんなが幸せになるための武器は、銃でも、大砲でも、悪口でもあらしまへん。人の気持ちを慮ることのできる優秀な頭脳と、やらかい心。それさえあったら、それで十分なんだす。その分野で言うたら、おなごはんは、決して男はんに引け取らしまへん。いや、男はん以上に、その力、大いに使う事がでけます。まあ、うちの旦那さんは、うちよりやらかいお人だしたけどなぁ。若い皆さんは、これからどないな職業に就いても、家庭に入っても、その2つがあったら、大いに人の役に立つ事がでけます。日本どころか、世界の役に立てる事が、この先ぎょうさんありますのや。どうか、どうかしょげてなんかいてんと、よう学んで、頑張っとくはなれな。」
 大学の開校式でのあいさつでも「皆が笑って暮らせる世の中を作るには、 女性のね・・・、柔らかい力が大切なんです」と言っています(ドラマ上のことで史実ではありません)。

 ツイッターを見ていると、「女は女らしく」と言っているように感じて違和感(反発)を覚えた人もいたようです。「(私たちは誰も)しょげてなんかいない」と言う人もいました。「どんなに活躍しても実は後ろで男性に支えられないと女性は生きられない」とドラマが主張していると感じた人もいました。
 この言い方を、どうしても性分業的に読んでしまう人がいるのは仕方がありません。でも、私はこの「おなごはん、男はん」というのは、女性・男性というジェンダーの言葉としてではなく、女性原理(女性性)と男性原理(男性性)として受け取りました1)。だから男性でも、「うちの旦那さん」のように女性原理に軸足を置いた生き方が描かれていたと思います。男性原理も女性原理も一人の中にあるので、「女性の柔らかい心・言葉」というのは、自らの基盤を女性原理に軸足を置くということだと思いました。これは二項対立ではなく、統合するときの軸足の置き方です。男性(原理)が一歩後ろに退いているのです。このあたりは勘違いして受け取られることも多く、河合隼雄さんも、その「女性原理」という言葉遣いが性差別だというような些か「的外れ」な批判を受けておられました2)
 キャロル・ギリガンが「もう一つの声」(川島書店1986)でコールバーグの道徳性の発達論(「道徳性の発達と道徳教育」麗澤大学出版会1987)を批判したことはあまりにも有名ですが、その批判は女性原理を軸にして書かれていたと思います。この本の中でギリガンは「ケアの倫理」について語っていますが、ネル・ノディンクスは、倫理は公平を原則とする理性から生まれるのではなく、ケアに見られるような「共感-受容的」モデルから生じてくると言います(「ケアリング 倫理と道徳の教育」晃洋書房1997)。私は、ケアと倫理とはほぼ同義のものと考えています。
 時代にも医療にも、未来にも、明るさを感じにくい時代を生きていると「しょげて」いた私は、“あさ”の言葉に少し励まされました。もちろん、明るい未来が開けたわけではありませんが、滅びるにしても、その流れに抗いながら生きていくことに人類史的な意味はあると思います。そして、その抗う「武器」は女性原理に軸足をおいた柔らかいものを措いてないと思いました(医療の場はその典型的なところではないでしょうか)。脚本家の思いは知る由もありませんが、私にはそのように聞こえてしまいました。

 朝ドラという「制約」のためかモデルが大きすぎるためか、ドラマ自体の評価についてはいろいろな意見がありました。ツイッター上でも賛否の意見が飛び交いました。いろいろな感じ方・考え方があることに感心し、「人さまざま」をあらためて肝に銘じました。文章にはその人の意識の深層がどうしても表れてしまうもののようで、文章を通して書き手の人柄をあれこれ想像してしまいました。それに、人は誰もが「承認欲求」を持ち(「いいね」はその典型でしょうし、同意見の人同士が仲良くなります)、「確証バイアス」や「認知的不協和の低減」、「ハロー効果(後光効果・あばたもえくぼ)」や「ホーン効果(坊主憎けりゃ)」などからは免れないものだという社会心理学の勉強にもなりました。
 「浅い」とか「実がない」とか少女マンガだという批評もそれなりにあたっていると思いますが、私はこのドラマのおかげで廣岡浅子や五代友厚、濱口梧陵(名前では登場していませんが)といった人たちの存在、日本女子大の歴史、大隈重信のエピソードなどたくさんのことを知ることができたので、それだけでも貴重な経験になりました。そして、ドラマでもエキストラとしてしか現れない、時代に翻弄されながら生きていた無名の人たちこそが時代・歴史を支えてきたこと。そのことは今もかわりません。医療者の前に現れる病を得た「無名」の人、一人ひとりの「はてしない物語」を大切にしていくことこそが、医療倫理の基本だと思います。(2016.07)

1) 女性原理、男性原理について、やなぎあきら氏は以下のようにまとめています(ブログから)。
男性性の本質は、・・・現象的(外向的)・一方的・目的的・独善的・攻撃的・動物的・主観的・自己中心的。つまり、男性性とは、相手に対して、まず反発するがごとく自己を主張し、場合によっては相手を否定してまで自分を通そうとするのが、その本質です。
 女性性の本質は・・・潜象的(内観的)・受容的・依存的・柔軟性・親和性・植物的・客観的。つまり、女性性とは、相手が突き進んで来ればまず身をよけて通し、自分と同じ心なら受け入れ、合わないなら合うように導く、とにかく相手を立て、順応しようとするのが、その本質です。

2) 河合隼雄「中空構造日本の深層」(中公文庫1999)「昔話の深層」(福音館書店1983)など

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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