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AIが代替できないインフォームド・コンセント
―――患者の視点で考える医療のコミュニケーション―――

 患者さんが初めて医療機関を訪れ医師と対面して行われる「問診」は、治療を開始するために必要な情報収集と、信頼関係構築の第一歩として重要と考えられています。また、診断がつき、治療法を決める段階での「説明」は、患者さんの重大な意思決定の基礎となります。
 しかし、コミュニケーションがもう少し欲しいという患者側からの声もあります。限られた時間で、よりよいコミュニケーションができれば、医療に対する信頼も得られるはずですが、これからの時代は、さらに医師の人間性と深いコミュニケーションが必要とされるような気がするのです。

 私は、もともと外国語大学出身で、翻訳などの仕事から医療コミュニケーションの仕事を手掛けるようになり20数年になります。旧東京SP(模擬患者)研究会時代から法人化した現在も、活動は主に医学部の学生さんや病院の研修医の方に、患者さんと信頼関係を築くためのコミュニケーションをいかにすべきか講義や実習で一緒に考えたり、患者や家族の役を演じて、専門医の認定試験のお手伝いをしたりしています。
 全国の医学系大学が臨床実習に送り出す学生さんの質を担保するために設けられたのが「共用試験」です。コンピューターで知識を問い(CBT)、シミュレーターや道具で診察実技能力を計り(OSCE)ます。このOSCEの中に、「医療面接」という課題があり、患者役と「初診の問診」場面を行い、マナーと最低限の情報収集を両立させたコミュニケーション能力が問われます。私は、その患者役(模擬患者)を育て(ピンチヒッターもしますが)、試験前の実習や、付随する講義などを担当しています。
 20数年の活動で、学生さんの「初診の問診」場面だけでも1万回近く見てきました。最初はぎこちなかった自己紹介や患者さんの氏名確認も、常識として定着してきました。問診の最後には要約して「何か付け足すことはありませんか?」と声をかけるのもスムーズにできています。医学的な内容の深さは「共用試験」ではさほど求められませんので、型通りができれば全員合格になります。
 それ以上のことは、臨床実習に出て現場で指導いただくことになっています。とはいえ、忙しい現場では深いコミュニケーションを学ぶ機会より、時短、省略で情報のトリアージを習得する場合が圧倒的に多いようで、5年生や6年生でOSCEを行うと、患者の側からすれば、一方的でおざなりな「問診」に退行していると感じることが少なくありません。日本の医療現場におけるコミュニケーションの価値(診療報酬での位置づけにもつながりますが)を見事に反映しているのは残念です。
 それでも、学生時代授業を受けた、という現役の医師も増え、専門医の研修会を企画してくださり、現実的で深刻な場面のコミュニケーションについて、立場を越えて考える機会を一緒に作ることができ、続けてきてよかったと救われる思いになることもあります。

 ただ、最近私が懸念するのは、AI(人工知能)の存在です。2017年初頭から、新聞にAIの活字を見ない日がないように思います。囲碁や将棋のプロを相手に、ひと汗もかかず善戦したり、睡魔に襲われず大学入試問題をサクサクこなしたり、人の認知機能や運動能力の低下を補う夢のロボットが、目の前に現れて助けてくれる時代が到来しました。たとえば、前述の「共用試験」レベルの「初診の問診」はAIが代替できる、むしろ、そのほうが正しい診断に迅速に結びつくようにも思えるのです。
 あるいは、AIを待つ前に、患者さんが自宅のパソコンやタブレット、スマホの端末で、自分で入力すれば済む情報が多いのです。学生さんの「〇と〇を聞き出せば合格」といった試験対応の表面的な「問診」より、患者さんが自分で各項目を深く掘り下げて入力するほうが、より正確に現症を伝えることができるだろうと感じるのです。情報の数に関してだけ言えば、AIや、アプリのガイダンスに従って患者さんが入力するほうが現状の「問診」より勝る気配が濃厚です。
 しかし、ここからが大切なことなのですが、自分の命を最初から最後までAIに預ける患者さんはいないでしょう。医師がAIを利用しても、患者さんが信頼する相手は医師です。AIやアプリに代替できない部分は何か。それが、本来のコミュニケーションだと思うのです。神ならぬ身で、お互いいつかは死ぬ運命にある人どうしが出会い、それぞれの存在に敬意を表し、人生を尊び、そのうえで、医師という専門職にしかできない考察や判断を病む人に提示し、一緒に手を携えて進もうとする、このプロセスが最後の砦であり、信頼や感謝の対象なのです。効率的なマニュアル化や代替できる部分は進めてください。けれども、玉ねぎをむき続けるような虚しい結末になるのでは、あまりにももったいないと思います。医師という役の一人の人間として、患者の意思決定を支えていただけたら本当に有難いと思います。


一般社団法人マイインフォームド・コンセント理事長
佐伯晴子