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No.309 言葉のイメージ

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 勉強嫌いの私は「生涯教育」という言葉が嫌いです。嫌いでも、医療者はずっと勉強することを「強いられ」ます。小学生のころから勉強好きだった人が医療者には多いので(周囲の人と勉強で競争することが習性になってしまっている人も少なくありません)、強いられるというよりは好んで勉強している人の方が多いようです。その結果、医学についての知識量は、大学を卒業した時点においてでさえシロウトの人のそれとはかけ離れた膨大なものとなっています。その後ますます医師の持つ知識量は増えていき、その知識に支えられた医学的な思考パターン(シロウトには理解しがたい)がどんどん身についていきます。星と星との距離がどんどん遠ざかっていくかのように、患者と医療者との間の距離は遠ざかります。しばしば医療者はそのことを深刻には受け止めていません。
 「動脈血中の酸素濃度が低下して、そのために血液が黒ずんで、爪や唇などが紫に見えます」という文章を正確に理解するためには膨大な医学知識や医学的な意味での言葉の理解が必要なのに、誰でもこの程度のことはわかるだろうと医療者は思いがちです。
 「甲状腺の癌ですが、これは死ぬ病気ではありませんから」(私の身内が言われました)、「悪性の病気ですが、上皮性のものではないので医学的には癌とは言いません」(小児の悪性リンパ腫について両親への外科医の説明。横で聞いていた私は、後で時間をかけて説明し直しました)。こうした説明を聞いて、「死なない」と言われるだけで安心する人、混乱せずにすんなり説明が理解できる人がいるとしたら、その方が不思議です。
 「この薬はウィルスを殺すのではなく、その増殖を抑えるものです」という薬剤師の説明だって、わかりやすいものではありません。「それでほんとうに効くの?もっと良い薬はないの?」と思います。

 「いくらシロウトでも、これくらいは知っているだろう」と医療者が思う言葉も通じません。患者さんは「これくらいのこと」も、医療者のようにはわかっていないことを医療者は忘れてしまいます(「透明性の錯覚」と言われます)。白血球もアレルギーもウィルスも抗生物質も、医療者のように理解していることは稀です。病名のほとんどは、医療者には想像つかない「怖さ」で迫ってきます。「怖さ」が迫ってくれば、すでに知っていた「これくらいのこと」さえもわからないものに変わってしまいます。

 人の話を聞くとき、聞く人は言語処理(相手の言葉を理解する)と思考(話の内容について理解し、考える)を同時に行っています。言葉が理解しにくいものの場合には、言語処理を優先するため(言葉の意味の把握で手いっぱいになり)、話の内容を思考することにまでは手(頭)が回らず、理解できないままになります(高野陽太郎「認知心理学」NHK出版2013)。外国語で難しい内容の話を聞いた時には、単語の理解に追い付くのが精いっぱいで、話の内容についてはよく考えられないのと同じです (だから、英語教育の成果を会話能力で評価するのは誤りだと思います)。
 医学の場合、単語の理解自体もままなりませんから、言葉の意味の理解にさえもたどりつきません。言葉の意味をイメージすることができないのです。受け手は情報を処理するために意識を集中して努力しつづけるのですが、それはゆっくりとしか出来ません。でも、医療者はそのペースに合わせて言葉を送ってくれるわけではありません。患者さんは理解することを諦め、自分なりに「わかったつもり」のところで納得してしまいます。「あの患者さん、あんなに説明したのにぜんぜんわかってない」と言う医療者が自分に責任があると思うことは少なく(「帰属の錯誤」です)、溝は広がるばかりです。
 「言葉は、どこかで語に対して想像されるイメージが参照されることを前提としているからこそ語られるのだが・・・・・概念的な言語表現に慣れておらず、その想像すら困難なひとには、(なおさら)拒否や怒りの感情が湧きおこる」 (船木亨「いかにして思考すべきか」勁草書房2017)。この怒りは、話の内容に対して(しばしば拒否されます)だけでなく、同時に患者さんの想像する「イメージを参照もせずに」説明する医療者に対してもぶつけられます。

 説明した内容を図示・図解し、あるいは説明用紙に書いて渡すことの意味は小さくありません。けれども、説明用紙を見ると、いくつかのキーワード、そのキーワードからいくつかの矢印線が引かれて、その先にまたいくつかのキーワードや○○%といった数字が書かれていて・・・・、後で見返すころには何が説明されたのかよく分からないことが少なくありません。他院で書かれた説明文書について、その意味を説明してほしいと求められたことが何度もありますが、想像で説明するしかなくて、申しわけないような気になりました。
 患者さんはその場ではきっとなんとなく分かった気がして頷きながら聞いていたのに、家に帰ったら何が何だか分からなくなっていたのでしょう。そこで「同意書」にサインしてしまってから、「よく分からなくなったので、もう一度説明してほしい」とはなかなか言えません(きっと医者は嫌な顔をするから)。

 検査結果や病気についての情報をコンピュータ画面で説明されることも少なくないのですが、患者さんは斜め横から画面を見ること自体で疲れます。医療者は自分の思いで画面やポインターをコロコロ動かしてしまうので、患者さんは話の流れについていけなくなります。医療者が見慣れている画面で説明するのは、医療者の土俵に患者さんを引き上げるようなもので、患者さんは圧倒的に不利です。
 医療者が驚くべきなのは、それにもかかわらず患者さんが医療者を見捨てないことです。(2018.11)

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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