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No.339 「嫌患者」への道

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 先日武蔵野赤十字病院に所用で行った折に、エレベータの中で以前一緒に働いていた若い小児科医師に「明日から、産休に入ります」と挨拶していただいたのですが、一瞬なんと言おうかと迷い「それは、それは」とあいまいな返事だけしか言えませんでした。「大事にしてね」で良かったのにと後で思いましたが、後の祭りです。「先生がいないと、心細いですね」というと「もっと働け、あんまり休むな」というブラック病院の含意がありそうだし、「ゆっくり休んでね」というと「あなたは居なくてもいいよ」と言っていると思われそうな気がするし、「お大事に」では「お産って大変だものね」と小児科医には常識のことをダメ押しするようだし、「元気な赤ちゃんを産んでね」では優性思想の押し付けのようだし、などと考えているうちにエレベータの扉が開いてしまいました。何気ない言葉、瞬間的な応答の言葉の中にこそ、その人間の本心が表れます(だから、政治家の「失言」についての謝罪などは、全く意味がないことは誰もが知っています)。言葉に詰まること自体、私の姿勢がフラフラしていることの証なのでしょう。自分の心の闇を見据えることは容易ではありません。

 このところ「嫌韓」的な言葉が飛び交っていますが、そこには自分の国が過去に自国民・近隣諸国の人々に多大の被害を与えた歴史的事実を「なかったこと」にして見ないようにする「否認」や、自分の攻撃衝動や迫害欲求をあたかも相手が持っているとして外部世界を迫害の危険や他人の悪意に満ちたものだと認知する「投影的同一視」といった自我防衛が働いています。他者を貶めなければ自己肯定感が得られないのは、自己愛性パーソナリティ障害なのでしょうか。このような自分の中の「闇」を見ないようにすることは思考停止を招きますので、日本の過去や現状に批判的な言説に対しては「反日」というレッテル貼りで済まされます。「モンスター患者」というレッテルが貼られる場合と同じで、そこには会話の生まれる余地がありません。心の病いは国家や集団にも起きると岸田秀は言っています 1)
 従軍慰安婦の問題は、強制連行があったかどうかの問題でも、戦時には他の国にもあったから仕方がないということでもなく、戦争という状況の中で女性の人権が蹂躙されていたという事実であり、人権をどう考えるかという問題です 2)
 大陸で日本軍が虐殺を行ったという事実 3) は、その人数には関係ありません。30万人であれ1人であれ、至る所で虐殺された人がいたことが問題です。虐殺を行った「(国内では)善良な日本人」も、心の傷を黙って抱えながら戦後を生き続けなければならなかった戦争の犠牲者です。大河ドラマ「いだてん」では、戦後もフィリピンの人たちが日本人(の行為)への憎悪を抱き続けていた場面が描かれていました(それは、フィリピンに限ったことではないでしょう)。こうした国々の人に、過去のこの国の行為について詫び続けることは「自虐」ではなく、誇り高く品格のある行為です。「国に命をささげた英霊たちの尊い死の上にこの国の繁栄がある」として「英霊への感謝」を言う人がいますが、その感謝の言葉をあの戦争で命を失ったアジアの人たちに言うことはできるでしょうか。空襲や原爆、地上戦で亡くなった非戦闘員に言うことができるでしょうか 4)。非戦闘員やアジアの人たちに向けることのできない言葉を、戦いで亡くなった軍人に向けることは冒瀆です(「謝罪」以外の言葉はあり得ないのです)。
 こうしたことを、多くの人は承知しています。歴史修正主義の根拠は歴史学の立場から「捏造」にすぎず、「嫌韓」的言説は取り上げるに値しない「反知性主義」だから「無視」しておくという人が少なくないと思います。でも、それで大丈夫でしょうか。学問的に正しい知見がなんとなく耳心地の良い(自分を甘やかしてくれる)言葉に負けるのは、医学的に適切な治療の提案が「必ず治る」という似非医療にしばしば負けるのと同じです。
 「人として生きる権利が奪われた」人たちを軽視(無視)してしまえる心、自我を保つために「身内」5) から締め出した他者を貶める「嫌韓」「嫌中国」の雰囲気は、「嫌患者」と遠いところにあるわけではないという気がします。国の政策に「乗らない」患者、医師の勧める医療を拒む(異を唱える)患者、「世間の大勢」(「限りない延命医療から、自然な、平穏な死」という方向)に乗らない患者、「生産性がないのに」多額の医療費を要する患者・障碍者・高齢者が、「反日」「非国民」として「世間」から排除され、「正義の言葉」によって非難される日が来てしまう可能性は小さくないと思います。善意に満ちた献身的で感動的な在宅医療や終末期医療も、「抵抗の軸」になる可能性と「非国民を選別する道具」になる可能性とを併せ持っています。 (2019.12)

1) 「レイシズムがもっとも鮮烈に出現するのは、安定した集団ではなく、崩壊の危機にある不安定な集団――すなわち、集団における連帯が危機に瀕し、『集団』なるものが過剰に意識されはじめた集団――においてである。そのとき、それまで「自分たちが同型の存在であるかのように振舞」っていた個人は、お互いのわずかな差異に鋭敏な反応を示すようになり、そこからレイシズムが生じるのである。現代的レイシズムは、自らの集団の均質性や純粋性を希求し、他の集団を『破壊すべき脅威や障害』とみなして攻撃・排斥するものである。つまりそれは、文化や民族性にもとづく差別。」(「レイシズムの中の居心地悪さ」Hatena Blog2015-10-09 松本卓也/京都大学准教授)
 「われわれは、自国民に対する愛によって、近隣国民の繁栄と勢力拡大を、悪意に満ちた嫉妬と羨望をもって見るようになる。隣り合った諸国民は、・・・継続的な相互の恐怖と猜疑の中に生きている。・・・取るに足りない利害のために、また取るに足りない挑発のために、それら(国際法)のルールが毎日、恥も良心の呵責もなく、すり抜けられたり、侵犯されるのを、われわれは見ている。各国民は、隣国の強化や勢力拡大の中に、自国が征服されることを予見するか、あるいはそのように想像する。この国民的偏見というくだらない原理は、しばしば、祖国への愛という高貴な原理の上に築かれている。」(アダム・スミス「道徳感情論」6部2編2章)

2) 「慰安婦問題とは、強制連行があったかどうかとかいう問題ではなく、日本軍が女性の自由を奪い、性行為を強制したという女性の人権問題そのものなのです。」(平野啓一郎/作家)
 近衛師団通信将校として東南アジアを転戦した総山孝雄氏(元・医科歯科大学教授)は国粋主義者であるが、従軍慰安婦の悲惨な性奴隷としての実態をその著書「南海のあけぼの」(叢文社1983)で書いている。海軍主計長であった中曽根康弘は「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。」と『終わりなき海軍』の中で書いており、別の資料では「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」と書かれている。「疚しさ」を感じるからこそ自己を免罪化したい思いが少女像への反発になるのだろうが、ツイッター上に氾濫する医者の患者ヘイト発言には同じ姿勢が感じられる。

3) 中国のみならず、戦時下で行われた非人道的殺戮について書かれた元兵士の体験は枚挙にいとまがない。こうした行為を戦時下の戦闘行為の一環として「擁護」する人がいるが、非戦闘員を含めて殺害が行われた事実、公開斬首などの非人道的な行為が行われた事実自体が許されるべきではない。「虐殺はなかった」というような過去を否認し自己を免罪するような言説は、日本という国の評価を下げることにしかならない。
 「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」「また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう」(三笠宮崇仁親王 読売新聞社「This is 読売」94年8月号)

4) 患者さんは、その背景もおかれた状況も、その思いも一人ひとり違う。しかし、医療倫理はどの患者さんについても言えることが語られるべきだと思う私は、そこに通底するものを感じている。

5) 「身内」と外との境界線は、雰囲気、時の流れ、「世間」といったものによっていかようにも恣意的に引かれる。誰もが「少数者」のレッテルを貼られてしまう可能性があり、だからこそ人は「善良な市民」であり続けようとして「少数者」を抑圧し排除することになる。子どもたちが、自分がいじめられないように「いじめ」の加害者の側に身を置かざるをえないのと同じ構造である。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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