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No.405 子ども庁から子ども家庭庁へ

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 「子ども庁ができる」という話を聞いただけで両手を挙げて賛成する小児科医がいることに少し驚きました。私はと言えば「子どもに関する施策推進の司令塔」という言葉にまず躓きました。
 そして、「こども庁」は、あっという間に「子ども家庭庁」に変えられてしまいました。その奥には、宗教団体の動きがあったということは全く知りませんでした。それに、もともと自民党の人たちはどうしても旧来の「家族が支え合う(家族に負担を負わせる)」という思いから免れられないのでしょう。

 「こども庁」は増加する児童虐待 1) を何とかしなければという人々の思いに「支えられて」受け入れられているのかもしれません。ならば、児童虐待、高齢者虐待、家庭内暴力、身寄りない老人の増加などが日常的なことになっているのに「家族は、互いに助け合わなければならない(自民党の憲法改正試案)」などとして「家庭」を入れるのは、「現実否認」でしかありません。「家族間介護」や「親孝行」などを求める(公助すべきものを自助・共助に押し付ける)としたら、それは「弱い者いじめ」であり、さらなる混乱をもたらす可能性も小さくはありません 2)
 「家族は国からも他者からも侵入されないユートピアなどではなく、もっとも明確に国家の意思の働く世界であり、もっとも力関係の顕在化する政治的世界なのかもしれない。」(信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』角川新書2021)
 「親を捨ててもいいですか?と聞かれたら何と答えますか」と問われた信田さんは「捨ててもいいんじゃないですか、と答えます」「そう言ってくれる人がいないからです。だからカウンセラーくらいはそう言ってあげてもいいと思います」とも言います。(NHKクローズアップ現代2021/5/6)
 永田夏来さんは「さまざまな機能が外部化していったとしても、家族にしか担いえない特別な人間関係は必ずあるはずだという期待ですが、これについて私は明確に「ない」と考えています」と言っています。(高橋幸+永田夏来「これからの恋愛の社会学のために」現代思想2021年9月号 特集『〈恋愛〉の現在』)

 子育て・教育は、お役所が「司令する」こととは馴染まないと思います(調整(コーディネート)ではないでしょうか)。この言葉の選択だけで、私は今のところ身構えています。「古い酒を新しそうな革袋に盛る」、酒井直樹さんの言葉を借りれば「21世紀の問題を20世紀のやり方で解こうとしている」(『ひきこもりの国民主義』岩波書店2017)のでなければよいのだが、と思っています。
 なにしろ1994年に日本が批准した「子どもの権利条約」の内容についての周知さえ図られていません。まずは、そこからでしょうか。そして、それに伴う法の整備が必要です。
 「こどもまんなか」「みんな(子ども)の意見大切にするよ」「みんなが自分らしく生きられる社会を目指して」と政府広報のツイッタ―で、子ども家庭庁についての案内が流れてきました。医療者の言う「患者中心」はたいていあてにならないのですが、政府の言う「こどもまんなか」「“Children First”」はどうでしょうか 3)

 子育ての(人育ても)基本はケアです。それは、大人が子どもをケアすることだけではなく、育てている大人もその子どもによってケアされる関わりです。人と人とが関わり合う社会、つまり私たちが生きている社会は人と人とが支え合うという意味でのケアを基盤として成り立っています。私たちの社会のすみずみまでがケアの倫理に支えられたものになっていくとき、子どもを取り囲む現状も病者(だけでなく私たち全員)をとりまく状況もずっと温かいものになるのではないでしょうか 4) 5) 6)
 「私が重要だと思うのは、「社会的弱者を取り残さずに手を差し伸べる」という価値観を重視する「ケアの倫理」の考え方です。」(林香里「「見えない世話役=女性」問いなおして」朝日新聞2023.4.19夕刊) 7)(2023.06)

1) 「二十年以上にわたる調査や研究を経ても、児童虐待やネグレクトが強く貧困や低収入に結びついているという事実を越える…真実は一つもない」(リーロイ・H・ベルトン)。ならば、子ども家庭庁は貧困や低収入を解消する方向で「新しい資本主義」に向かうのでしょうか。それなくして、家庭に責任を求めるのは責任転嫁です。

2) 秋葉俊介さんは、「あるべき家族像を前提とした家族倫理/ケア倫理」の危うさについて述べています。「ケア倫理における家族に関するスケッチ」『狂気な倫理 「愚か」で「不可解」で「無価値」とされる生の肯定』晃洋書房2022 所収

3) 末富芳さんは、政府の政策に対してきわめて批判的な人ですが、与野党の国会議員との討論を通して「子育て罰がなくなる未来は遠くない」と信じていると書いています。末富芳/桜井啓太『子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるには』光文社新書2021

4) 育児支援と少子化対策とは別のことなのに、まぜこぜに語られがちです(もしかしたら意図的に)。「金を援助すれば子どもを生むだろう」ということには、札束で頬を叩くような下品さがあります。
 「岸田総理の少子化対策は「飛行機に乗れなくて困っている」のに「機内サービスの充実ばかり語られても」っていう印象、乗るためにどうするのか、をまずやってもらいたい。手当ではなく根源的にやるべきは「給与をきちんと上げていく」「この国の未来が見られるようなビジョンを企業も政府も出していく」ってことが「一番の少子化対策」になる。そこがない限り、いくら手当を支給したって「焼け石に水」になると思います。」人口減少対策総合研究所 河合雅司理事長 報道1930(BS-TBS) 3月30日

5) 「まずは伝統的な家族観が若者に家族を持つことをためらわせ、少子化を助長しているのだという意識を社会で共有し、それを改めていく必要がありそうだ」林香里「家族観の縛り まず解かねば」論壇時評 朝日新聞2023.3.30
 林さんは「「子育て支援」と「子ども支援」が混同して語られる」とも指摘し、政治家が「子育てや教育を伝統的役割分担として女性に押し付ける一方、「子育ての孤独や苦労も仕事と子育ての料理の困難も、教育費の負担の重さも、さらには結婚して子どもを持つという未来さえ抱けない若い世代の閉塞感や希望のなさも本質的に理解していない」という浜田恵子さん(ジャーナリスト)の指摘を引用しています。

6) ある自民党議員(法務大臣をしていたことがある)は「国民主権、基本的人権、平和主義、これらをなくさなければ自主憲法にはならない」と言ったそうですが、これらを守らなければ子どもを守ることはできません。

7) LGBTQの人権擁護も選択的夫婦別姓も同性婚も認めない政治が子どもの人権を守ることはできないはずです。そのような政治が当事者をいかに苦しめているかという想像力のない政治家には、子どもを守る方策は立てられないでしょう。
 「LGBTQの人権がトレンドに上がってるけど、ホントみんな人権ってモンを勘違いしてるんだよな。誰かに与えられたら自分の分が減るゼロサムじゃないんだよ。全ての人に等しく保障されていることが人権の本質であって、享受できない人がいたらそれはもう人権じゃなく、特権でしかないんだよ。」(あるツィッターから)


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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