No.452 教育って“怖い”
コラム目次へ 1994年、私の所属した小児科学教室が発行した教室50年誌に、私を含めて多数の同窓生が寄稿しました(勝手に医局を飛び出した私なのですが医局から“排除”されませんでした)。
そこに、後輩のI先生が次のように書いてくれました。
「入局の年に指導していただいた先生方には皆さんにお世話になりましたが、日下先生には多くの面で影響を受けました。先生が強調されていたのは、看護婦さんや他の医療従事者は医者にとってあくまでも対等のパートナーであること、患者さんに対する医者の傲慢さ、身勝手さは決して許されないということであり、折にふれて話され態度で示されました。こちらも幸い1年目のまだ素直な状態でしたので、かなり深い所まで、影響を受けたように思います。やっと医者になれて、少し鼻が高くなりかけていた所の出鼻をくじいてもらって良かったと感謝しております。勿論、未だに先生に教わったことのごく一部しか実践できていないのですが、いい年をして「患者さんにこういうことを言うと日下先生に叱られるだろうなあ」と思い直すことがしばしばあり、私なりに教えが役に立っているのだと思います。あれから様々な病院で色々な経験をしましたが、最初の1年がやはり最も鮮烈に印象に残っており、現在の私に有形無形の影響を与え続けているように思います。」
もうペアを組んで(私は医者になって4年目でしたが、新卒の彼と3ケ月間ペアを組みました/1976年のことです)から18年が経っていました。I先生はある病院の診療部長に就いており、その後開業しました。実のところは、もともと優しい人でしたから、私の言動がそんなに影響を与えたわけではないと思います。それに、この文章のような「格調高い(?)指導」をしていたかどうかも心許ないかぎりです。
これは、自慢話ではありません。でも、それ以来、私の医者としての人生はこの言葉に支えられ、この言葉から医学教育のoutcomeを考え続けてきました。「遠い未来に」という想いもここから生まれました。
患者さんとの会話も同じです。今話している言葉は「遠い未来」にどのように「孵化」するのだろうかということを考えながら話すことへの目配りは欠かせないと思っています(これまでいっぱい「失敗」してきたことへの反省からの思いです)。
今年の講習会で、タスクフォースの一人の医師(その病院の指導医)に挨拶されました。
35年前、学生時代に武蔵野赤十字病院での私の外来を見学に来た時のこと。予定よりもだいぶ早く着いたので外来の待合室で座って待っていたところ「そこに座っていると患者さんの気持ちがわかる(かも)」と私にとても褒められたとのことでした。もうすっかり忘れていたことですが、そのようなことがあったことは今回挨拶されてなんとなく思い出しました(私の外来を見学に来た学生は1500人近いと思いますが、そんな学生は一人しかいなかったから)。
あまり意識せずに言った言葉を覚えていてくれたことに感激しましたが、同時に「教育って“怖い”」ともあらためて思いました。(2025.12)
日下 隼人