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No.356 個人患者史

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 「コロナなんかただの風邪と同じ、軽症の病気だ。死ぬ人は少ないし、死んでいるのはどちらにしても死ぬことが遠くない高齢者だけだ。マスコミは騒ぎすぎだ」といった意見を言う人は(医者に限らず)少なくありません 1)。「低毒性だ」「弱毒化している」「日本人はすでに免疫を持っている」とも、「インフルエンザのほうがずっと死者が多い」とも。でも、病気の本態-全体像がまだ見極められていない時にこのようなことを言うこと自体、病気への「謙虚さ」が欠けています。病院経営として大きな赤字を生みだしながら、重症患者の治療に忙殺されている医療者への「敬意」も欠けています。死者が少ないのは、現場での努力の成果でもありますし、市民たちの防御行動の成果でもあるはずです。したり顔な言説は、病にも人にも敬意を欠き、結果として人(医療者や死者・患者)を傷つけてしまうのです。
 現に、あるメーリングリストでは、こうした意見に対して「最前線にいない方があーだ、こーだというのを否定するつもりはありませんが、最前線にいる人達は、味方だと思っていた人々、かつては尊敬のまなざしを送っていた方々から背中から撃たれる思いで、とても悲しく、悔しく、残念に思う毎日です。新型コロナは見ようによっては単なる風邪かもしれませんが、見ようによってはやっぱり新型の人類が経験したことがないウイルスです。まだわからないことも多々あり、わかっていることもいつ覆るかもわかりません。重症化する人が少し減っている、緩和されている感じはなくはないことも確かだと思います。初期は徒手空拳で防護具の在庫もままならない状態で,診療に当たらねばならない状態でした。それが現在は『剣はこうやって使えばいいのかな?』と世界中の創意工夫と叡智が最前線に届いている成果だと思います」と書いて、リストを離脱した医師がいます。
 感染症の専門家、現場で重症患者の診療にあたってる医師は誰も、コロナを軽く見るようなことは言っていません 1)。簡単に分かったふうなことを言う人は専門家ではありませんし、病気への謙虚さ・人への謙虚さを欠いた人は医師以前の存在です。ある高齢者施設の医師が「人はどうせ死ぬのに」と書いていました(施設でクラスターが出ないように心がけているとも書いていましたが)。マクロの視点からは正しいとしても、その視点こそがミクロの次元で人を傷つけます。マクロの視点に立ち鳥瞰したポジションで語ることの傲慢さに慄かない人の存在が、私にはわかりません。
 「歴史を見るときに、マクロの統計を見るだけでなく、ミクロの一人の人間の視点で読み解く歴史と言うのがなにより大事だと思うんですよ。統計上はたったの1ですよね、でもその患者の思いとか罹っていった状況は千差万別なのに、マクロのデータの中にそれは埋もれている。私は、われわれの社会がまともに病気に対していくには、個人のライフコースの中でどのように病気が関わったかという患者個人の視点・個人患者史という視点が、病気の歴史を考えるうえで非常に重要だと思っています。2)」(磯田道史)
 「専門家としてやっていると、病院で患者さんを診て教育的に覚えていくのは、他人事としてみることです。・・・・専門家も、自分の家族を見るのと同じようにいろんな要素を考える『社会的な共感』がないといけないんじゃないでしょうか。武漢で書かれたある人の『一つの国が文明国であるか否かの唯一の尺度は・・・弱者にどう接するか、その態度だ』という文章に非常に教えられた気がします。他人ごととしてみるのが専門家というところから、他人ごとでない次元に進む専門家にならなくてはいけないのではないでしょうか。」(児玉龍彦) (二つの発言は「英雄たちの選択 100年前のパンデミック~“スペイン風邪”の教訓~」2020.8.26から。発言は意味が通りやすいように一部加減筆していますので、逐語にはなっていません)。
 他人ごとでない次元の専門家・個人患者史から見ていく専門家になるためには、やはり「情が欠かせない」のでしょう。(2020.10)

1) 救急病院にいる小児科医は、インフルエンザで激烈な脳症の死亡例や重い後遺症を残した患者さんを何人も見てきています。少し昔には、麻疹脳炎や肺炎で亡くなる患者さんを何人も見ました。「予防接種は不要だ」「誰でもかかる怖くない病気だ」と言うのは、そのような事例を見なくてすんだ(見えないところにいた)人なのです。

2) 「インフルエンザのほうがずっと死者が多い(コロナなんか怖くない)」と言う人は、インフルエンザについても(どのような病気についても)マクロな視点から見るだけで、「個人患者史」として病者を見ようとはしていません。


日下 隼人

コミュニケーションのススメ 日下 隼人 コラム

● 本コラムの内容は、著者 日下 隼人の個人的な意見であり、マイインフォームド・コンセントの法人としての考え、および活動に参加しておられる模擬患者さんたちのお考えとは関係ありません。

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